
1945(昭和20)年7月15日早朝に発生した厚内空襲から80年にあたり、現場となった厚内駅周辺や空襲の痕跡の残る太子寺を見学し、当時、厚内のオコッペで機銃掃射の様子を目撃した平野博子氏(写真中央)から体験談をお聞きして戦争の記憶を語り継ごうと、移動博物館「厚内空襲から80年」を開催しました。
当日は、この春に厚内駅前にたてた文化財標識の設置にご協力いただいた、JR北海道釧路支社の中島直裕釧路支社次長と、浦幌駅の熊田直人駅長にもご参加いただき、浦幌駅から厚内駅までの往復は列車を利用しました。

当日は、まず厚内駅前に集合し、この春に厚内駅開業120年、厚内空襲80年を記念して設置した文化財標識を紹介。標識の内容に沿って、簡単に厚内駅の歴史や空襲について触れました。

続いて、厚内駅構内へ入り、当時の配線や列車の停車位置、どのように攻撃を受けたのかを説明しました。
厚内駅は、細かな変更点はあるものの、いまも80年前と基本的な駅構造は変わっていません。
ただ、浦幌寄りにあった給水塔は失われています。

続いて、徒歩で駅近くにたつ浄土真宗の太子寺にお邪魔して、境内の太子堂を見学しました。

太子堂とは、浄土真宗が大切にしている聖徳太子を奉納しているお堂です。しかし、この太子堂は、かつてはお寺に隣接した厚内国民学校(旧厚内小学校)の奉安殿でした。戦後、太子寺が譲り受けて、太子堂として今日まで活用されてきました。
厚内国民学校の奉安殿時代、厚内駅に停車中の列車を狙った機銃掃射の流れ弾を受け、その痕跡が扉にいくつも残っています。現在、確認されている、現存唯一の空襲痕跡です。

続いて太子寺から厚内公民館へ移動し、空襲体験者の平野博子さんのお話しを聞きます。
ここからは共催である厚内公民館の佐藤芳雄館長の進行で実施しました。

平野さんは「当時は戦争が当たり前だと思っていたので特別の感情は無かった。むしろ今の世界の方が、あちこちでひどい戦争をやっていて、戦争の恐ろしさを感じる。戦争はいけない、平和が大切」と語りました。

戦争中の食生活を体験するものとして、厚内公民館では水団を用意。みんなで試食しました。

今回、JR北海道釧路支社のご協力を得て文化財標識を設置いただいたこともあり、浦幌からの参加者は主催者も含めて6名が列車で往復しました。
浦幌町立博物館では、地域公共交通の利用促進のため、厚内での開催事業にはなるべく列車を利用するようにしています。
事業の実施にあたり、ご協力いただいた皆様方に感謝申し上げます。
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【事業概要】
移動博物館「厚内空襲から80年」
日時:2025(令和7)年7月15日 14:15〜15:15
場所:厚内駅前、太子寺、厚内公民館
集合:14:15 厚内駅前
解散:15:15 厚内公民館
※浦幌からの参加者は、浦幌駅13:40発釧路行2525D列車で向かい、厚内駅15:45発帯広行2526D列車で戻る。
主催:浦幌町立博物館
共催:浦幌町厚内公民館、浦幌町教育委員会社会教育係
担当:持田誠学芸員、宮寺由佳博物館協力員地域プロジェクトマネージャー、本間司樹社会教育係長、吉川さくら社会教育主事、佐藤芳雄厚内公民館長、長根睦厚内公民館管理員
協力:JR北海道釧路支社、浦幌駅(中島直裕釧路支社次長、熊田直人浦幌駅長) 、太子寺
参加者:21名(関係者含む。一般参加は12名)
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