浦幌炭鉱についての聞き取り

2024年10月13日(日)。子供の頃に浦幌炭鉱にお住まいだった山本義一さん(現在は札幌市清田在住。お父さんは山本英一さん)が来館され、当時の炭山地区の様子についてお話ししてくださいました。
これまでに無かった証言として、上流の美好町の長屋と火葬場の話がありました。特に火葬場についてはこれまで入手している資料にも記載が無く、また下流の栄町付近に火葬側があったという証言がありました。
・常室川の支流に沿って「馬車が通れるくらいの細い道」があった」。
・道の角には共同風呂があってよく利用した。
・共同風呂の裏手に2軒長屋が何軒もあって、そこで生まれた。当時の番地は浦幌村で249番地。
・馬車で通れるくらい細い道の奥に、赤い三角屋根の火葬場があった。誰かが亡くなると、夏は馬車、冬は馬橇を霊柩車にして棺を運んだ。荷台には少し装飾があったように思う。煙突から煙りが出ているのをよく眺めた。
・帯広から汽車や尺浦隧道を乗り継いで21時すぎに家族で帰宅したときも共同風呂は動いていて入った。そのときは誰もいなくてガラーンとしていた。
・炭山地区にはお東さんのお寺があって、姉(山本照美さん)はお寺で七五三をした。その写真がまだ残っている。
この七五三の話も興味深く、近いうちにお姉さんにも聞き取りを実施し、写真も拝見する予定です。
今回の聞き取りに関連する証言や写真等がありましたら、ぜひお寄せください。

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